愉快に

家庭の悩みや仕事でストレスを抱えていたりして、マイナスな気持ちの時でも稽古に行くとすっかり明るくなることがあります。

私が憂鬱で「悪い気」を出していても、気持ちのいい仲間から「良い気」をもらってるうちに中和して「良い気」に変化したからですね。

頭痛で、おでこに「冷えピタ」貼って無理してでも稽古に出かけることが多々あります。はじめはしんどいのですが、稽古したあとはスッキリして帰れることが多いです。

強い先輩と稽古して、大汗かいて、頭ひねって、体を動かすとそのうちどうでもよくなっちゃうんですね。

うまくいかなかった技の悩みは宿題として多く持ち帰りますが、それはそれで楽しい苦しみなんでいいんですね~。

合気道を始めたばかりの新人さんと稽古するのもいいものです。

その人にとって、初めての環境に飛び込んでいくというのは、ワクワクもあるが不安もあるでしょう。人と交流したいのならば、かなりエネルギーを出さなければなりません。

合気道を始めようと思い立ったことでその人はすでに気を交流するための「良い気」を出していると思います。

土浦の道場とは違い、かすみがうら合気会では下は幼稚園児からと、小さな子供達も多いので、子供たちからはまた大人とは違う「良い気」を貰えます。

 

植芝盛平翁の「武道」に練習上の心得が六項目あります。

 

一、合気道は一撃克く死命を制するものなるを以て練習に際しては指導者の教示を守り徒に力を競うべからず。

 

二、合気道は一を以て万に当たるの道なれば前方のみならず四方八方に対せる心掛けを以て練習するを要す。

 

三、練習は常に愉快に実施するを要す。

 

四、指導者の教導は僅かに其の一端を教ふるに過ぎず、之が活用の妙は自己の不断の練習に依り始めて体得し得るものとす。

 

五、日々の練習に際しては先ず体の変化より始め逐次強度を高め身体に無理を生ぜしめざるを要す。然るときは如何なる老人と雖も身体に故障を生ずる事なく愉快に練習を続け鍛錬の目的を達する事を得べし。

 

六、合気道は心身を鍛錬し至誠の人を作るを目的とし、又技は悉く秘伝なるを以て徒に他人に公開し或いは市井無頼の徒の悪用を避くべし

 

第三の項の
「練習は常に愉快に実施するを要す」
の解釈は修行者それぞれあると思います。
私は、大先生のもとで合気道を修行し、畑を手伝い、旅のお供やマッサージなど身の回りをお世話した福田先生の姿、稽古方法、指導方法を見て解釈します。

私は福田先生にお会いするだけで気持ちが晴れます。

おしゃべりしてるうちにリラックスして心がスッキリします。

怒りに満ちた激しい気でもって敵を寄せ付けない、そんな強さをもった武道家もいるでしょうが、福田先生はいつもニコニコとして気持ちが平らで、常に「いい気」を出し続けています。

ですから先生の周りには多くの人が集まりますが気持ちのいい人ばかりで、悪い人、すなわち「敵」がいない。

同じ「無敵」の武道家でも私は福田先生のようになりたいです。

 

植芝 吉祥丸 二代目道主 

「真に武道の心得のある者はむしろ肩肘の無駄な力が抜けて外見は優姿に見えるものであり、真に自身があるものはゆうゆうとして常に「愉快」な気分を面にあらわすものである。

いわゆる外柔内剛、日ごろは地味で謙虚であり、起居振舞もごく自然で無理がない。つまり、ありのままの自分をありのままに見せながら、自然に生きれる者こそ真の武道の修行者といえるのではなかろうか。」

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