一教について

また一教のついてです。

一教はシンプルな技なので四方投げ小手返しなどの技を練習するより退屈です。華麗な受け身に自信がある人は物足りないと感じるようです。

退屈だと思ってしまうことがこの技の一番大事な部分を見落としていると思います。かく言う私も十字投げや腰投げなどの複雑な技を数多くどんどん教わりたいという欲にかられた時期がありました。会得した技の数量を誇りたがった頃です。(ホントは会得できたつもりではしゃいでた思い込み野郎です)

「今日は初心者がいるから一教にしましょうか」と福田先生が言うと正直残念に思ったバカものです。「チェッ」と口には出しませんでしたけど。(よかった・・)今思えば赤面ものの生意気な白帯一級でした。

そんな私も少しは成長しました。技はシンプルなほどいい。シンプルさゆえの奥深さを知ってしまったのです。一教は少しでも隙があると相手に頑張られたり、逃げられたり、返されたりしてしまいます。合気道家なら誰でも知っている技だからです。

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相手がどこを打ち込んでくるのか、どこを持ってくるのかによって仕手の合わせ方、重心の移動などが変わってきます。これが実におもしろい。合気道探求の楽しさです。技の深部に分け入るには腕も腰も足も心もすべてがひとつとなりどんなに動いても中心がゆがまない身体を作らないとなりません。大きい人、柔らかい人、力が強い人、身体が固い人、いろんな人がいるので「この技では足は一尺くらい横にずらして、腕はこの角度でこうして・・・」などと過去に誰かにうまくいった方法が他の誰かに杓子定規にあてはまるものではありません。その瞬間瞬間で合わせが必要なのです。

弐段をいただいた頃に福田先生から聞いたのお話です。

「小島さんもそろそろ違うやり方を覚えて行かないとね。初心者にはまずはちゃんとした形を覚えてもらわないと。基本の形もわかんないのに、難しい事言ってもちんぷんかんぷんでしょう?だから最初は足はこっちに置いて手はこう動かしてって丁寧に教えるんですよ。でも、有段者になったらそれだけじゃダメ。だんだんとその先を勉強してもらうよ。

前に、“先生は最初と言ってた事が違ってる”って文句言った人がいたけど、始めっからあんたに言ったって理解できなかったでしょって言ったの。だから今のあんたにはわかるだろうと思って教える内容を濃くしてるんだ。習う方も大変かもしんないけど、教える方も工夫してるんですよ(笑)。技はその時、その人に合わせるんですよ。向こうからは合わせてくれないよ。」

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私が初段になる前まで福田先生は

「正面打ち一教は自分から正面を打って行く。正面うちを言ったら基本は自分から打っていくんです。手と足を同時に使う。以前は正面打ちと一緒に横腹に当て身を入れたけど、今はやんないでいい。初心者は特に当て身に気を取られると動きが固くなる。肘と脈部をしっかり掴んで、前下にしっかり落として相手の脇の下が直角になるように崩す。ここでしっかり崩さないとダメです。」おさえた手の高さ、角度、足の爪先の方向も一寸単位で修正、かなり細かく指導していただいていた。

それが今では「握らない方いいんだ。肘も手首も握らないほうがいい。そのほうが崩せるよ。」と指導いただくことが増えました。いくらかは成長したと認めていただいたのかも?です。形のその先にある技の指導です。

福田先生はしっかりと握る場合でも、力が抜けていて、合わせていて、呼吸法によって急所を3本指でキュッっとかしめる感じの掴み技です。受けは下半身の力も抜かれ、身動きが完全にできない状態になってしまい、反撃も振りほどいて逃げる事も不可能です。猛禽類が獲物を捕らえるように。力で締め上げるというよりは急所を3本指でキュッっとかしめる感じの掴み技です。そのためには雑巾絞りのような握りはダメなのです。

「握らない稽古」の良さは一教の裏技の稽古をするとより顕著に現れます。握っていないと相手の腕をとり転換できないということは、今まで握って力で引っ張って一教の裏をやっていたという証拠です。

基本技の練習を繰り返すということは気付くためなのです。福田先生は教えるというより本人が自分で気付くための余白をつくってくれるのです。あたかも「自分で気付いたんだ。発見した。」と勘違いさせることが上手です。だから福田先生の下で稽古している人は合気道がより大好きになるのです。そのために先生はいつも辛抱強く待っていてくれるすごい先生です。

内田樹先生も「握らない一教」を稽古で行っているようです。

握らない一教 (内田樹の研究室)

数年前にこの記事を呼んだときは?でしたが今ならよくわかります。

福田先生が

「今、俺が言ってる事がわかんなくても、いつかわかるよ」

と、その通りでした。