「福田保先生 合気道70周年記念の祝賀会」と「茨城支部道場鏡開き」

2019年1月19日 福田保先生 合気道70周年記念の祝賀会

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我らが福田先生が、植芝盛平開祖のもとで合気道を始めてから去年で70周年を迎えて、おりました。( ^ω^ )

実は、昨年中に合気道70周年祝賀会を予定しておりましたが、福田先生の手術などがあって祝賀会を開くタイミングが合わなかったので、新年を迎えたところでとなりました。

 

福田先生は1948年(昭23)16歳で茨城道場に入門しました。

同じ国鉄勤務の先輩であった斉藤守三(守弘先生)さんの勧めでした。

 「すごい先生が岩間にいらっしゃる、保っちゃんも合気道やっぺよ」と。

とても偉い先生と言われてたので、失礼があってはいけないと始めから袴をつけて道場に行ったそうです。

当時は合気道とはどういったものなのかも全くわからなかった上でのチャレンジでした。

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福田保先生(左)と斉藤守弘先生(右)

 

日曜日は午前中に稽古をし、それ以外は毎日朝晩稽古しました。

国鉄が非番の時は、朝稽古の後に大先生の農作業のお手伝いをしたそうです。

20歳で結婚し、翌年長男である武産浦帆道場道場代表の重美さんが誕生しました。

その頃2年ほどは稽古は休みがちになりましたが、それ以外は稽古にほぼ毎日通いました。

1964年に開祖から五段を充可されます。

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1969年 植芝開祖が逝去

1978年に植芝吉祥丸道主から六段を允可。

 

この頃から福田先生は、斉藤守弘先生が指導されていたいくつかの道場で代わりに行ってくれと頼まれるようになります。

 陸上自衛隊武器学校、茨城大学、谷田部支部(学園合気道クラブ)、西友コミュニティカレッジなど、で指導者としての合気道が始まります。

 

福田先生

「稽古をしている人は個人個人違う。

 考え方も、体格も、稽古日数も。

 ”この技はどう説明すればいいのかな”

 ”この技はこうしなくちゃいけないんだな”

 と改めて合気道をの技を勉強しましたよ。」

 

 1980年頃、阿見の川村医院の院長の川村先生から頼まれて阿見支部(曙合気道クラブ)を発足。

 

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1982年 51歳で国鉄を退職し、合気道の指導に専念します。

1985年 (昭60)衆議院議院の狩野明夫さんに頼まれ「土浦支部 狩野道場(かすみがうら合気会)」を立ち上げます。

今年の3月13日に福田先生は88歳(米寿)になります。そして来年はかすみがうら合気会の35周年記念です。福田先生はまだまだお元気、私たちをさらに高みへと先導して行ってくれます。

 

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土浦市神立 割烹 喜作にて かすみがうら合気会

 

 

2019年1月20日 「茨城支部道場鏡開き」

 

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平成31年最初の合気神社月例祭で、植芝守央道主は神社拝殿しました。

山口伸樹笠間市長、常井洋治茨城県県議会議員、も出席されてました。

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宴会の席中盤に各道場紹介があるのですが、「かすみがうら合気会」の桑原六段の紹介挨拶の後に、福田先生が一言挨拶しました。若き頃の茨城道場での思い出話でした。

福田先生は今年で88歳になるというと、大きなどよめきが起こりました。

帰るときに

「福田先生はとても88歳には見えないです!先生のお話に感銘を受けました!」

と福田先生に声をかけてくれる方がいて、私は弟子としてそばにいて感慨無量でした。

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石臼で餅つき

 

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植芝守央道主(中央)と植芝 充央道場長(前列左)と福田先生(前列右)と私とムサビィさん