名も無き花
私は師匠と道場に行く車中でおしゃべりをします。
その時に師匠がよく話してくれるのは、
福田師範「“わかった”と思ったら、もう終わりだから」
ということ。
私が
「合気道は難しいですねえ。12年やってきましたが、どんどんわからないことが出てきますよ。(^◇^;)」
と言ったことへの返しなので、不肖な弟子への励ましでもあるんでしょう。
「“わかった”と思ったら、もう終わりだから」これ真理だと思います。
仕事でも趣味でも、「到達した」「わかった」と思った瞬間から、それ以上の成長は停止してしまいますからね。
老子の
「知りて知らずとするは上なり。
知らずして知るとするは病なり
聖人は病にあらず、其の病を病とするを似て、
是を似て病にあらず」
というのがあります。
自分がよく理解していても、まだ十分にはわかっていないと考えることが良いことであり、わかってないくせにわかってると考えるのが、人としての短所になる。
自分の欠点を欠点として自覚できれば改善することもできる。
聖人に欠点がないのは、その欠点を欠点と自覚しているからこそ、欠点の無い聖人でいられるのだ。
“知りて知らずとするは上なり”
という箇所と意味が似たように思うのが「論語」に
「知るを知るとなし、知らざるを知らずとなす、これ知るなり」
とあります。
「知りて知らずとする」は、論語の「知るを知るとなし~」に似てますが、老子は
“わかったことも、わかったとしない”
というとこがなんだか深い。
“わかったと思った時にも、それを疑え”
と言ってるように聴こえます。
まだその「道」には達してないのであると考え続けることが、修行では1番大事だと、日々師匠に言われております。
福田師範は素晴らしい合気道家ですが、自分を売り込むことは嫌い(苦手)で、世間に自分の才能をアピールしたりはしません。そこをもどかしいと思うこともあり、いや、それこそが師匠の素晴らしいところであると考えたりします。
私にも福田師範のような「花」を咲かせられるだろうか・・
努力していきます!
「竹原ピストル 名も無き花」より抜粋
よく言われれば
図にのって
悪く言われれば
わかってたまるかとふてくされる
どうせそんな例えば
おみくじみたいなものでしょう?
いつからかぼくは
ちっとも人の話を聞かなくなった
白波は遥か
空はすっかり石垣模様
きっともうすぐ雨だ
にげろやにげろ
名もなき花
名もなき花という名の花
意味を求めない意味を求めて
はじまりを求めない旅のはじまりを求めて
理由を求めない理由を求めて
おわりを求めない旅のおわりを求めて
名もなき花
名もなき花という名の花